私の仕事の経歴について、時系列順にみなさんに紹介します。
2011年6月 アルバイトとして入社
大学1年生の時に入社。高校生の頃は3年間部活ばかりしていたので、アルバイトは初めてでした。
吉野家、なか卯の面接は落とされ、「近くでどこか良い求人はないかな・・・」と思っていると、自宅からバイクで10分程度のところにある大型ショッピングモールの求人を発見して応募。食品の販売をメインとしている小売業で、当時は「ある程度時給が良くて、近場で」という程度の考えで選んだ記憶があります。
この時はまさかこの仕事をこの先もずっと続けるとは思っていませんでした。
大学は文学部の英文学科。アルバイトと両立は正直できていなかったと思います。いつも仕事の疲れを授業に引きずって、講義中は居眠りすることも良くありました。
ただし、教員免許取得するための講義だけは真剣に受け、卒業と同時に中学校と高校の英語の教員免許を取得しました。
2015年8月 Mgr代行に昇進
大学を卒業して4ヵ月くらいが経ち、教員を目指して非常勤講師や常勤講師をやるか、今の職場で上を目指すか迷っていました。就職活動は一切していません。
この時の私は「今の仕事はやりがいもあるし面白い」と思っていたのと同時に、正直、「今の慣れ切った環境を離れるのが怖い」という感情もあったと思います。
しばらく考え、このまま社員を目指してチャレンジすることを決意し、当時の上司にその覚悟を伝えました。
(※)私の会社は新卒採用だけではなく、社員登用制度もある
当時の私はすでに4年間勤めてきて、プレイヤーとしてのある程度のスキルも、仲間からの信頼もあったため、その店舗ですぐに昇進させてもらうことができました。
慣れ親しんだ環境でMgrの代行の立場として、作業を取り仕切るリーダーの役割や、お客様対応、数値改善などに取り組みました。
2016年1月 初の店舗異動
当時のSVとの面談で今後について話し合っている時、「ガッキーが早くMgrに昇進するためには店舗異動が近道になる」とアドバイスされました。私はもちろん「お願いします」と返答し、年明けの1月に4年半身を置いた環境を離れ、K店に異動しました。
K店は大きな大学の近くにあることもあって学生のお客様も多く、県内(20店舗)で売上4位の店舗でした。ちなみに最初の店舗は大型店舗なので当然、売上1位の店舗です。
売上が良いということはそれだけ商品に手をかける時間も多いですし、お客様対応も多い。当初は雇用も充足していなかったので、非常に厳しい環境で、毎日時間ギリギリまで作業していました。
このK店ではマネジメントスキル、つまりチームを導くスキルを身に付けたというよりも、クレーム対応や数値管理、レジの清算のような、店舗のMgrとして必要なプレイヤースキルを身に付ける期間でした。
本当に忙しいお店だったので、1日1日はあっという間に過ぎるし、1ヵ月なんて1週間のように感じました。それだけ仕事に夢中でした。
2016年4月 Mgrに昇進
K店に異動してから僅か3か月後。Mgr代行になってからたった半年後。
当時23歳。
私はMgrに昇進し、O店に異動しました。
いわゆる見習い期間であるMgr代行の期間は、短い人で1年、長い人で3年程度が普通であるため、私はスピード昇進でした。
それだけ責任者が不足しているという『タイミング』ももちろんあったと思いますが、周りの20店舗には同じようにMgrを目指す代行が何名もいたので、タイミングだけでなかったのは確かだと思います。いち早く昇進できた理由は、単純に私の年齢が若く期待されていたのと、教わったことにとにかく忠実に、基本を徹底しようとする姿勢を認められたのだと思います。
O店の売上は5位でK店と同じような店舗でしたが、オペレーションが崩壊していて、毎日1人30分・1時間の残業×5名が当たり前のような状態で、異動になった4月の時点で、私が受け持つチームの状態は予算に対して200人時の赤字でした。しかもそれだけでなく、前任のMgrはタイムカードをスキャンした後にも1時間程サービス残業をするのは当たり前。一般のスタッフも休憩を取る時間もなく、おにぎりを一個食べたらまた売り場に出るような酷い状態で、ワークルールが全く守られていない、倫理観のないお店でした。
私はすぐにオペレーションの見直し、目標の設定、結果に対する指導などをスピーディーなトップダウンプロセスで改革を進め、1ヵ月ほどで残業はほとんどなくなりました。ただし私が休みの日は、過去の私と同じ立場のMgr代行が仕切ってくれていたのですが、もちろん私のようなタイムキープや指示ができるわけはないので、代行の日はまだ残業が多少あり、私の曜日はない、そんな状況になりました。
私は店舗の仕組みの改善だけではなく、Mgr代行の人材育成にも取り組み、3ヵ月ほどで代行の曜日もほとんど残業がなくなり、1年目は200人時の赤字から、最終的には50人時の黒字にまで持っていき、1年を終えることができました。この時はまだ、「順風満帆だ!」と思っていました。
O店2年目の夏、年1回の職場アンケート調査。
このアンケート調査は簡単に言えば『働く環境の調査』で、全従業員が匿名で「上司は的確なアドバイスをくれますか?」や「必要な備品は整っていますか?」や「この仕事を家族に勧められますか?」などの質問に答え、店舗ごとの『貢献意欲』を数値化するものです。
私がMgrになって初めてのアンケート調査は、去年4月に異動してきてすぐの8月に実施されたので、私というよりも前任Mgrへの評価が色濃かったのですが、今年はついに100%私のマネジメントが評価を受けることになります。
10月。
20店舗の全Mgrが集まるMTGで結果が共有されました。
配られた各店のスコアを見て私は「やっぱりな」と思いました。
スコアは90%だったのです。(高い方が良い)
・・・。
違いました。
私は1行下の隣の店舗のスコアを見ていたのです。
26%。
全国で見ても下から10番目に入るほどの低スコアでした。
・・・。
目標を持たせて作業のスピードも上がった。
効率的なオペレーションに改革した。
残業もほぼゼロになった。
休憩も全員がしっかりとれるようになった。
基本に忠実にやってきた。
私が1年半でやってきたことが、全て否定された気がした瞬間。
最低クラスの貢献意欲スコアを叩き出した私は、1週間は下を向いていました。とにかく悔しくて悔しくて仕方なかった。これまで順調に昇進してきて波に乗っていたし、部下もついてきていると思っていた。なにより数値結果を出してきたし、自信もあった。
私が苦しんでいる時、私を救ってくれたのはタッキートレーナーでした。
タッキーさんは当時58歳で、毎月のようにご飯を一緒に食べにいっては私の仕事の悩みを聞いてくれていた、私のメンター。
タッキーさんは私に「プライドなんか邪魔なだけ」、「サーバントリーダーになれ」とアドバイスをしてくれた。
私は「自分は間違ってない」、「半年で昇進できるくらい優秀なリーダー」、「やることはしっかりやってる」とプライドを振りかざして、自省ができなくなっていた。私はこの時初めて、自分を客観視することの重要性と、謙虚な姿勢でいることの大切さを学んだ。
そしてサーバントリーダーシップに目覚めたのです。
タッキーさんはこれまでもサーバントリーダーが持つ力については私に教えてくれていたけれど、「自分で全てやってしまった方が早い」、「楽だ」、「できない部下の意見を聞いてどうするの?」と思ってそのアドバイスを私は軽視していた。軽視していたのは、その時の自分には謙虚さがまるでなかったことと、数値はみるみるうちに改善していたから。目に見える世界では結果が出ていたから、このままのリーダーシップで突き進んでいくだけでまた次のステージに上がれると勘違いしていました。
でも、今まで目に映らないでいた部下たちの『心』が見えた瞬間。
180度考えが変わった。
2018年4月 T店で再スタート
その後はサーバントリーダーになろうと必死にマインドを鍛えて、O店でとにかくとにかく実践していた。しかし、一度傷ついた信頼関係は元に戻すのに、築く時間の10倍以上の時間がかかる。苦戦する私を救ってくれたのは、当時のSVでした。
「T店に異動を命じます」
私は背負ってきた重たい重たい荷物を地面に下ろし、身軽になって新たな旅にでるチャンスをもらった。
T店は売上は8位程度のお店で、街中ではなく郊外にある中型店舗でした。部下になるスタッフたちは9割が女性で、みんな協力的で、O店で大失敗した私を温かく迎え入れてくれました。
私は異動して1ヵ月間はとにかく信頼関係を築くことに注力し、サーバントリーダーシップを遺憾なく発揮してチームで効率改善にもチャレンジし、『部下のために尽くす』という価値観でチームを導いていきました。
価値観を変えるというのは簡単なことではなかったけれど、ゼロから再スタートを切らせてもらえたおかげで、多少昔の自分は残っていても、新しい自分を作ることができた。最高の部下にも恵まれ、サーバントリーダーシップがもたらす『部下一人ひとりの主体性』もどんどん養われていき、部下たちの行動や言動が、さらに私を成長させてくれた。ものすごい追い風だった。
2018年7月 トレーナーに昇進
「嘘ですよね?」
「ずっとガッキーさんがいいです。」
私がT店にいたのはたった3ヵ月。
最高のチームが出来上がり始めている矢先、トレーナーに昇進した。
当時25歳。
トレーニングGは籍は本部で、全国の各地区に1名いて、各地区の研修を担当する人材育成に特化したチームです。
尊敬するメンターのタッキートレーナーが定年間近で退職することが決まり、そのポストに私が入ることになったのです。
『新人への研修・指導』、『Mgr(これまでの自分の立場)への研修・指導』、『既存スタッフへの研修・指導』を3本柱とする、人材育成に特化したチーム。私はもともと教員を目指していたし、他人に何かを教えることが大好きだったし、現にMgrの時からトレーナーに頼らず自ら人材育成の仕組みを作ったり、自ら育成に取り組んできたので、立場や役職が変わっただけで、そこまで心境ややることにに大きな変化はなかったけれど、人材育成に特化できるようになったことで、これまで以上に気づきが生まれ、日々多くの学びがありました。
このトレーナーとして人材育成に尽力した1年の経験は、その後の私の人材育成に対する考え方を形作りました。
2019年6月 物流事業部に異動
全社的なコストカット施策のため、本部のファンクション数と人員が縮小されました。降格人事の人もいたし、希望退職を勧められた人もいたらしく、全国にいた私の同僚(トレーナーたち)も4割は各所に異動がかけられました。
私はこのタイミングで、今身を置いている物流事業部に異動となりました。全国各所に物流センターはあるのですが、私は地区異動はなく、今まで担当してきた20店舗の物流を支えることになりました。
私の会社はもともと、物流は協力会社に委託する形で進めてきましたが、2011年前後に完全自営化し、物流事業部が発足した。つまり、まだ自営化して9年。会社のカルチャーや価値観がまだまだ浸透していない状態。会社のカルチャーや価値観がまだまだ浸透していない環境に送り込まれたのは「元トレーナーたち。変えていってくれ。」という社長のメッセージにも思えた。
また、小売業の基礎である物流に携われるということは、確実に今後のキャリアアップのために良い経験となるはずなので、非常に嬉しかったです。
異動後しばらくはとあるカテゴリーの仕分けチームのMgrとして、店舗の時と同じように部下を持ち、久々にマネジメントに復帰。
8ヵ月後の2020年の5月からは事業所内異動をして、物流で最もコアとなる役割の『輸送Mgr』として勤務しています。(兼任で作業チームも担当)
10年を振り返る
やはり私のターニングポイントは、貢献意欲26%というスコアを叩き出した『Mgrになって1年後の大失敗』だったと思う。メンターの言葉に救われ、サーバントリーダーシップに出会い、SVから『異動』というチャンスをもらい、自分を見つめ直し、リーダーはどう在るべきかを必死に考え、実践した。メンターのタッキーさんにはとにかく感謝している。ご飯を食べに行くと、毎回5時間くらい私の悩みを聞いてくれた。的確なアドバイスをしてくれた。サポートしてくれた。それから、私を見捨てずやり直すきっかけをくれたSVにも、私をずっと支えてくれた部下、仲間たちにも感謝している。
ただ、これだけ多くの支援をもらっても、T店に異動した時、O店と同じような失敗をしてしまう可能性は十二分にあったと思う。
やっぱり最後は自分自身。
謙虚な姿勢で、素直な気持ちで、どんな出来事からも気づきや学びを得て、『変わりたい』と思うのではなく『変わる』と決めて実践する。
そんな自分を褒めてあげたい。
この記事に記載した私の経歴は、当たり前ですが、ほんの一部でしかありません。
私の心の中に閉まってあるたくさんの経験は、大事にしまっておくのではなく、言葉にして表現し、当時の私と同じように悩むリーダーたちに伝えていきます。